+主教 イグナシオ
緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の適用が解除となって、十月から教区内の教会では礼拝の公開が再開されるようになりました。
日曜日に教会に行かれないということは、コロナ前には想像もつかなかったことで、礼拝に行かなくては…といったような思いもあったかも知れません。
しかし、コロナ感染の拡大に伴って主日礼拝の公開が休止されてからは、日が経つにつれ、教会に行きたい、みんなといっしょに礼拝をささげたいという思いが徐々に強くなってきたのではないでしょうか。
それは、私たちが礼拝をささげることに対するある意味”新鮮な”思いです。
教会に行き、そしてみんなといっしょに礼拝をささげたい、聖書のみ言葉を聞き霊の糧である聖餐に陪かりたいという思いは、私たちが信仰生活の始めに抱いていた純粋な気持ちです。しかしそれが、いつしか、
今日は当番に当たっているから、教会委員会があるから、お茶の担当だから…といった、別の動機と入れ替わってしまっていたということはなかったでしょうか。
もしもそうだとしたら、コロナによる礼拝の公開休止は、もう一度、初心に帰って主の甦りを記念する日にいっしょに神さまに礼拝をささげ、み言葉を共に分かち合い、聖餐に陪かり、そしてそこに与えられている命の喜びを人々に宣べ伝えていくという思いを私たちに回復してくれる機会となったのではないでしょうか。
「主は渇いた魂を飽かせ/飢えた魂を満たしてくださった」(詩編107・9) 今回のコロナ禍は、さまざまな人々に困難な状況をもたらすことになり、私たちにとって決して望ましい出来事とはいえませんが、こうした時であっても、私たちに新たな気付きが与えられたことを確かに受け止めていきたいと思います。
『横浜教区報』2021年11月号 1面より