欅の坂みち2022年1月号

+主教イグナシオ

『横浜教区報』2022年1月号1面より

 12月の初め、前夜から翌朝の未明にかけては低気圧が通過して嵐になり、交通機関にも影響が出るほどでした。そして、12月の嵐は、色づいた欅の葉をあちこちにまき散らします。

 嵐が去った後、まき散らされて吹き溜まりに集められた落葉を掃くのですが、そこに少しでも風が吹くと、せっかく集めた落葉は掃いているそばからまた風に乗って散らされ、更に上からは次から次へと舞い降りてきます。

 それを見ていてふと心に浮かんだのは、「わが身にふりつむ つみのちりを はらえどはらえど つもりまさる」という古今聖歌の214番の歌詞でした。まるで私の心の中に次から次へと湧き起こってくる罪の思いのようで、掃いても掃いてもほんとうにキリがないのです。イエスさまは、このようにして私たちの罪の思いを何度も何度も繰り返し掃き清めてくださり、ご自分の苦しみと死をもって罪を贖う犠牲として世においでになったと思えば、そうそう愚痴ってもいられません。

 そして、朝、落葉を掃いていると、いっしょに掃いてくれる隣のマンションの管理人さん、通勤、通学、通園でそこを通り掛かる人たち、隣接している公園に園外保育に来る保育園の園児たちと顔を合わせます。

 そこでの朝のあいさつは、この時期の楽しみの一つです。ことに、幼い子どもたちが声を掛けてくれて、「行ってきます」と元気よく手を振ってくれるのには、大いに癒され、また元気づけられるのですが、それも落葉の季節に限られたものです。

 そう思うと、色づいてこれから落ちてくる欅の葉が、いとおしくも思えてきます。 人の心に浮かぶ思いとはほんとうに勝手なものと思いつつ、もうしばらくは朝の落葉掃きに励みたいと思います。

 

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