一意専心の励まし

司祭 パウロ 窪田真人

沼津聖ヨハネ教会牧師
伊豆聖マリヤ教会管理牧師

復活節第6主日

 復活節第6主日に選ばれている福音書は、イエスさまの告別説教にあたる箇所です。

告別説教における主題はイエスさまが地上を去り、別れに際して、残された弟子たちの不安を取り除くことにあります。それゆえ、福音書ではイエスさまと弟子たちの応答の記事が挿入され、さらに、弁護者と訳される聖霊の到来へと話題は進みます。

26節の「弁護者」と記されるこの言葉は、「助け主」、「後見人」とも訳され、ヨハネ福音書では聖霊の存在をはっきりと示しています。地上に残された弟子たちが置き去りにされたのではなく、イエスさまが昇天されたあとも、助け主=聖霊と共にいるという約束として読む人に安心を与えます。弁護者=助け主の役目は、イエスさまが天に帰られたあと、まだ真理の霊に満たされていない弟子たちを導くことにありました

弁護者を理解するためには次のポイントを抑えておく必要があるでしょう。それは、ユダヤ教、原始キリスト教に広がっていた、「先駆者」の観念に由来する説で、つまり、別れゆくイエスさまは「先駆者」であるという考え方です。つまり、この弁護者という言葉が示す先は、弁護者=聖霊はイエスさまの代わりでもなければ、新たに遣わされたものでもない。あくまでもイエスさまと一体の存在なのであるということなのです。

ヨハネ福音書では、ユダヤ人によりイエスさまが拘束される前に、弟子たちに最後の指導と慰めをお与えになるイエスさまの姿を見ることができます(14章16節)。

イエスさまは、もうすぐ肉体としては弟子たちとは共にいなくなってしまいます。イエスさまのご復活後に弟子たちは再会を果たしますが、それはイエスさまが父の元へ昇天するまでの一時的な期間でした。しかし、イエスさまが、弁護者として、弟子たちの元へ来てくださるのであれば、置き去りにされることはなく、イエスさまと一体である聖霊が弟子たちの元へ来て励ましを与え続けてくれるのです。これこそが、弁護者であり、助け主である聖霊なのです。

この弁護者は、弟子一人ひとりに、イエスさまが肉体的に存在されていた時と同じように、残された弟子たちを『一意専心』の精神で導いてくれるのです。

ここで言う弟子たちは、イエスさまの直弟子だけを指すのではありません。私たち現代に生きる人々にも、教会、聖書、礼拝・説教、日常の生活、自宅での祈り、他者との交わり、そして、あらゆる場を通して助け主である聖霊がおられるわけで、イエスさまが共におられないというわけではないのです。そう、私たちは今まさに、父と聖霊とともに一体である主イエス・キリストとともにこの場にいる。だから、決して、置き去りにされているわけではないのです。そのことを覚えると心からの安堵の気持ちを覚えずにはいられません。この恵みを受けて復活節の喜びを祈り過ごしてまいりましょう。

『横浜教区報』2022年5月号巻頭言より

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