+主教イグナシオ
欅の坂みち2022年7月号
この度、宣教委員会で「祈りのしおり」を作成してもらいました。ことの発端は、 10歳までに洗礼を受けた人の中で堅信式を受ける人が、それより上の年代で受洗した人に比べて明らかに少ないということがデータから分かったからです。
祈祷書267頁に記されているルブリックには、「聖職と信徒、殊に教父母は、洗礼を受けた幼子を教会の交わりに参加させ、その成長に伴って、聖書の教えを聞かせ、教会問答によって、使徒信経、主の祈り、十戒をわきまえさせ、堅信式を受けるように導かなければならない。」とあります。
1959年改定の文語祈祷書には、洗礼式文中に、教父母に「受洗者が幼な子であるときは、司祭は次の勧めをする。」とあって、「幼な子の道理をわきもうる年ごろに至らば、このおごそかなる約束をこれに教うるは、なんじらの義務なり。」と記されています。
幼児洗礼を受けた子どもたちを導くのは、教会全体の大切な務めであることを、これらのルブリックは教えています。殊に教父母は幼子に代わって洗礼の誓約をして、その子が自ら信仰告白をして堅信式を受けるまで、その誓約を教える役目と責任を託されています。
さて、しかし、それはどのようにしてなされていくのでしょうか。それは教父母のみならず教会の交わりの中で、そしてまた家庭において、祈りを共にすることを通してであると思います。祈りについて、それを知識として教えるというよりも、共に祈ることを通して信仰は養われ、継承されていくのだと思います。
そして主は、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(マルコ10・15)と言われます。 私たちもまた幼子と祈りを共にしていく中で、命の旅路をいっしょに辿って参りたいと思います。