「み言葉はあなたのごく近くにある」

司祭 トマス 吉田仁志

八日市場聖三一教会牧師

聖霊降臨後第5主日(特定10)

キリスト者の信仰生活の基礎はイエスさまが教えてくださった「主の祈り」にあり、その本質は「み国が来ますように」という一節に凝縮されています。アングリカン・コミュニオンでは2016年から「THY KINGDOM COME(み国が来ますように)」という運動が始まり、日本聖公会も2020年からこの運動に参加しています。おそらく皆さんも、昇天日から聖霊降臨日にかけて、ご自身の周りにおられる五名の方を具体的に覚えて祈られたことだと思います。このように自分以外の誰かのために祈ることと「み国が来ますように」という祈りには密接な関係があります。キリスト教信仰とは「自分だけが天国へ行く」ことを目的としているのではなく、「み国が来る」ことを願うものであるからです。

創世記の天地創造の記事によれば、神さまが最初に造られた人間であるアダムとエバは神さまと一緒に暮らしていました。しかしながら、神さまが食べてはいけないと命じた「善悪の知識の木」を食べてしまった結果、アダムとエバは楽園を追放されてしまいました。それ以来、人類は神さまと離れ離れになってしまったのです。それゆえ、神さまがおられる天と、被造物が暮らす地には大きな隔たりができてしまったのです。それゆえ「み国が来ますように」という祈りは「天と地が再び一つになるように」という意味を含み、その完成形はヨハネの黙示録第二一章一節に示された「新しい天と新しい地」が現実となるときに他なりません。しかしながら、イエスさま自らが「神の国は近づいた(マルコ1・15)」と宣言されたように、この地上において神の国はすでに到来しつつあるのです。

楽園から追放された人類は「死」すべきものとなってしまいましたが、その人間に永遠の命を与えてくださったのがイエスさまなのです。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです(ヨハネ17・3)」とあるように、キリスト者であるわたしたちはこの地上においても、すでに永遠の命をいただいています。天と地の間に挙げられたイエス・キリストを通して、神さまと共に生きる存在とされました。十字架にかけられたイエスさまが、わたしたちにとってのヤコブの梯子となってくださったのです。イエスさまを通して天の父とつながっている、それがキリスト者なのです。

ですから「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが(申命記30・12)」という必要はありません。主のみ声はイエスさまを通して、わたしたちに与えられています。「み言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる(申命記30・14)」のです。それこそが、わたしたちにとっての福音なのです。

『横浜教区報』2022年7月号巻頭言より

SNSへのシェアはこちらから
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!