欅の坂みち2022年9月

+主教イグナシオ

欅の坂みち2022年9月号

主教館のある横浜聖アンデレ教会の西隣には公園があり、毎日、いろいろな人たちが訪れます。

ゲートボールに集まる近所の年配者のグループ、放課後の学童保育中にやってくる小学生たちのグループ、サッカーや野球、時にはバトミントンなどをやりに来る中高生や家族連れ、そして猛暑の日以外はほぼ毎日、保育士に連れられて近くの保育園の子どもたちも園外保育にやって来ます。

時折、公園に向かう園児たちと出くわすと、あいさつを交わすこともしばしばです。二人ずつ手を繋いで、保育士がその中に混じって園から徒歩でやって来ます。

公園に着くと早速、遊び始めるのですが、幼い子どもたちですから遊びの歓声に交じって泣き声も聞こえてきます。思うようにできなかったり、すべり台の順番が待ちきれなかったり、転んだりして、ウェーンという泣き声が聞かれない日はありません。

しかし、その泣き声はほとんどが、ひどい怪我をして命にかかわるようなものではないことはすぐに分かりますから、何とも微笑ましくさえ感じられます。

保育士たちは、そのような子どもたちのようすを注意深く見守ってはいますが、危険のない限りいちいち指示はしていません。

赤ちゃんも含めて幼い子どもは保護する人がいなければ、成長することができません。人はみな、ほんとうに弱い存在として生まれ、守られる中で初めて成長してゆくことができます。

弱さは守られるべき存在であり、神さまは私たち人間に、その弱さをこの上なくいとおしみ、見守っていこうとする言い尽くせない思いを備えてくださっています。

命はみな掛け替えのない愛すべき、そして神さまから授けられた尊ぶべき賜物、まさに命こそ私たちの「宝」です。

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