欅の坂みち 2023年1月

+主教イグナシオ

欅の坂みち 2023年1月号

欅は九月頃から葉を落し始め、十二月にまで及ぶのですが、大きくなり過ぎたため、十一月中旬に上の方の三分一位が伐採されてさっぱりして見通しがよくなりました。これで落葉も大分減ると思われますが、それでも今朝は、昨日の雨と風で下の道は黄色を散りばめたようになっていました。


秋の日は釣瓶つるべ落としと言われるように、この頃は夕の礼拝の前に、辺りはすっかり暗くなっています。それに合わせて日の出もまた、七時近くでちょうど朝の礼拝をささげている時に東側の窓から光が射し込むようになります。


朝夕の礼拝前の僅かな時間は私にとりましてはとても貴重な時間です。礼拝前、そこで用いられる祈祷書と聖書の箇所にしおりを挟み、静かに黙想します。


他の場所では、黙想しようと思ってもすぐにはなかなか思いが深まっていかないのですが、いつも祈りがささげられている聖堂はやはり特別な場所のようで、聖パウロが「神からいただいた聖霊が宿ってくださる」(Ⅰコリント六・十九)と語っているように、そこでは、自ずと自らを神さまに明け渡すことができるように感じられます。


しばし次の主日の聖書日課の箇所を開くのですが、そこでは、このことを語りなさいと言われているように心の内に言葉が浮かび上がってきます。


自分が語りたいことではなく、神さまが私に語るようにと与えてくださるみ言葉を語るには、私という人間の思いを除いてそこに働かれている聖霊に身を明け渡さなくてはなりません。そうでなければ、いつまでも「私が語りたいこと」に囚われてしまっています。


私にとりまして、神さまに聴き、神さまが授けてくださるみ言葉に耳を傾けていくのに最もふさわしいのは、常に祈りがささげているこの場所のように思われます。

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