「ヤコブの井戸の周りで」

司祭 フランシス 中山茂
館山聖アンデレ教会牧師
安房大貫キリスト教会管理牧師
鴨川聖フランシス教会管理牧師
南三原聖ルカ教会管理牧師

大斎節第三主日

エルサレムの北約五〇㎞、ガリラヤ湖の南約五〇㎞にサマリアの町があります。


 エルサレムからガリラヤに行くにはサマリアを通っていくのが、高低差がなく歩きやすい道筋なのですが、ユダヤ人は、エルサレムからかなりの低地にあるエリコの町に下り、そこからヨルダン川沿いの道を上って行く遠回りのルートをあえて選んでいました。マリヤとヨセフが旅したのもこの道筋でした。


 なぜこんな不便なことをするのかというと、ユダヤ人はサマリア人と交流しなかったからです。元は同じ民族だったのですが、紀元前七二一年に北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、人々は捕囚の民となり指導者層は他の土地に移され、サマリアにはアッシリアからの住民が移り住むようになりました。土地に残っていた人々との混血が進み、後に生まれた子孫がサマリア人と呼ばれるようになりました。純血を重んじるユダヤ人は交わりを避けるようになりました。


 このような事情の中で、イエス様と弟子たちがサマリアの町をあえて通ったのは、すでにユダヤ人からの迫害が始まっていたことを示しているようです。


 サマリアの町にはヤコブが掘ったと伝えられる井戸があります。とても深い井戸で、かつてここを訪問した際に言われて小石を落としてみたところ、かなりの時間が経ってからポチャ!と底から音が聞こえました。深さは二三mとのことです。機械のない時代に、これだけ掘るのは大変だったろうなと思います。


 この井戸の周りで起きたイエス様と一人の女の話です。


 イスラエル・パレスチナと周辺の地は、雨が降らない所です。かつてガリラヤ湖に行ったとき「三年雨が降っていません」と言っていたのを聞いて驚きました。


 「マイム!マイム!」というフォークダンスを踊ったことがありませんか? この「マイム」はヘブライ語で「水」のことでした。雨の降らないこの国で、井戸を掘って水が出てきたときの喜びの叫びだったのです。


 サマリアの井戸もそんな命の水が得られる場所でした。人々はこの井戸から水を汲んで生活していました。


 とても暑いこの国で人々は昼間は休んでいます。水をくむのは涼しい朝か夕に行なうことなのです。ところが日中に一人の女性が現われます。このことで、普通の生活をしている人ではないことが分かります。


 イエス様がこの女性と会い、会話すること自体が普通のことではないのです。戸惑っていると「この水を飲んでもまたかわくが、永遠の命に至る泉の水がある」と教えられます。そしてこの女性も街中の人もイエス様に会い、永遠の命に至る食べ物があることを教えられ、イエス様を受け入れていきました。

(『横浜教区報』2023年3月号巻頭言より)

以下の旧約聖書、使徒書、福音書は『聖書 新共同訳』より引用しました。
©︎共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
©︎日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

旧約聖書 出エジプト記 17:1-7

1主の命令により、イスラエルの人々の共同体全体は、シンの荒れ野を出発し、旅程に従って進み、レフィディムに宿営したが、そこには民の飲み水がなかった。 2民がモーセと争い、「我々に飲み水を与えよ」と言うと、モーセは言った。
「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」3しかし、民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」
4モーセは主に、「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と叫ぶと、 5主はモーセに言われた。「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。 6見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。 7彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。

詩編 95:6-11

6 身を低くして伏し拝み‖ 造り主、主のみ前にひざまずこう
7 主はわたしたちの神、わたしたちは神の民‖ わたしたちはその牧場の民、そのみ手の羊
8 今日、神の声を聞くなら、メリバのあのときのように‖ マッサの荒れ野の日のように、心をかたくなにしてはならない
9 あのとき、あなたがたの先祖たちは‖ わたしの業を見たが、わたしを試しこころみた
10 四十年の間わたしを悩ませた民に言った‖ 「彼らは心の迷った民、わたしの道を知らない」
11 わたしは怒って誓った‖ 「彼らをわたしの安息に入らせない」

使徒書 ローマの信徒への手紙 5:1-11

1このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 2このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 3そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 4忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 5希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。 6実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。 7正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。 8しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。 9それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 10敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。 11それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。

福音書 ヨハネによる福音書 4:5-26,(27-38),39-42

5それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。 6そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。7サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。 8弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。 9すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。 10イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」 11女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。 12あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」 13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 14しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 15女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」16イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、 17女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。 18あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」 19女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。 20わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」 21イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。 22あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。 23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。 24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」 25女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」 26イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

27ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた。しかし、「何か御用ですか」とか、「何をこの人と話しておられるのですか」と言う者はいなかった。 28女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。 29「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」 30人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。31その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、 32イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。 33弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。 34イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。 35あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、 36刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。 37そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。 38あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」

39さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。 40そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。 41そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。 42彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」

SNSへのシェアはこちらから
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!