主教 イグナシオ 入江 修
復活日
就寝前の祈りの中で祈祷書96頁に、「確かなみ摂理により、わたしたちの生きるこの世界とその生活を支えてくださる神よ、どうか夜も働く人を守り、苦しみ悩む人を慰め、病気の人を強め、死に臨む人に祝福を与えてください。そしてわたしたちの生活が、互いの力によって担われていることを、深く心に刻むことができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン」という祈りがあります。
「夜も働く人を守り、苦しみ悩む人を慰め、病気の人を強め」と、さまざまな状況にある人に思いを馳せた祈りで私がとても好きな祈りの一つです。しかし、この祈りで私が最も好きな、というよりも祈りの度ごとに心を動かされるのは、その次にある「死に臨む人に祝福を与えてください」という一節です。
「死に臨む」とは、さまざまな状況が思い浮かびますが、いずれにせよ、この世で最も危機的な状況といえます。その人に対して祝福を祈ること、これが、主イエス・キリストが私たちに与えてくださった福音、嬉しい知らせであり、こんなに素敵な祈りが他にあるだろうかとさえ私は思うのです。
この祈りにおける祝福とは、死に臨み、今まさにこの世を去っていこうとしている人に対して、「あなたは幸いだ」と告げることではないでしょうか。どんなに絶望的に見える状況にあっても、神さまにあって、つまり神さまとの繋がり、神さまとの関係において「あなたは幸いだ」と宣言することです。
それは、「死んだらすべて終わり」という、人間的、つまりこの世の価値観から見れば、不幸の極み、災いの極地かも知れません。
しかし、たとえそうであったとしても、神さまとの関係において、つまり神さまにあっては「あなたは幸い」なのです。私たちの目には見えず、そして理解もできないことであっても、この祈りは、何が何でも「あなたは幸いだ」という神さまの宣言を祈り求めています。
この根底にあるのは主イエスさまによる復活の信仰です。死んだらすべてが終わるのではなく、死の先に死を打ち破って輝く命です。死を避けることで生きるのではなく、死んで、その死を打ち破って生かされる命です。
私たちを造られ、存在させられた方が「あなたは幸いだ」と言われます。その神さまの幸いをどこまでも祈り求めているのがこの祈りです。
「あなたは幸いだ」という宣言こそ、たとえ死に臨んでいたとしても死に飲み込まれることも打ち砕かれることもない、神さまがその独り子であるイエスさまにおいて実現され、宣べ伝えるようにと私たちを遣わされている福音、嬉しい知らせです。
その嬉しい知らせの根底にあるのが、十字架に架けられて死に、そして復活されイエスさまを救い主キリストと信じる私たちに神さまが与えてくださった復活の信仰です。この信仰に生かされ、この信仰を携えて、「あなたは幸いだ」という神さまの祝福を命の福音、嬉しい知らせとして世に宣べ伝えて参りましょう。
ハレルヤ、主は甦られた!
(『横浜教区報』2023年4月号巻頭言より)
以下の旧約聖書、使徒書、福音書は『聖書 新共同訳』より引用しました。
©︎共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
©︎日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
使徒言行録 10:34-43
34そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。 35どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。 36神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、 37あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。 38つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。 39わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、 40神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。 41しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。 42そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。 43また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」
詩編 118:14-17,22-24
14 主はわたしの力、わたしの歌 ‖ 神こそわたしの救い
15 喜びと勝利の叫びが正しい人の天幕にある ‖ 「主の右の手は力を示す
16 神の右の手は高く上がり ‖ その右の手は力を示す」
17 わたしは生き長らえて死ぬことなく ‖ 主のみ業を告げ知らせよう
22 家造りの捨てた石が ‖ 隅のかしら石となった
23 これは主のみ業 ‖ 人の目には不思議なこと
24 今日こそ主が造られた日 ‖ この日をともに喜び祝おう
使徒書 コロサイの信徒への手紙 3:1-4
1さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。 2上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。 3あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。 4あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。
福音書 ヨハネによる福音書 20:1-10,(11-18)
1週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 2そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 3そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。 4二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。 5身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。 6続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。 7イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。 8それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。 9イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。 10それから、この弟子たちは家に帰って行った。
11マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、 12イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。 13天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」 14こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。 15イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」 16イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 17イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」 18マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。