+主教イグナシオ
欅の坂みち 2023年5月号
横浜辺りでは、桜は4月9日の復活日の前に散り始めていました。3月の気温が高かったせいなのでしょうか。桜に込められた季節の意味が、入園や入学から卒園や卒業の時期に変化しつつあるように思われます。
ところで、私たちは相手のことを気遣う際に、しばしば「お祈りしていますね」と言います。それは、必ずしも祈祷書を手に聖堂に行ってひざまずいて祈るというのではなく、どこにいても朝な夕なにその人のことを心に留めていくということで、言い替えれば「いつも心に掛ける」という意味ではないでしょうか。
しかし、そのような「祈り」であっても、それは単に「心に掛ける」ということだけで完結してしまうことはありません。
その「祈り」が元になって、そこから私たちは突き動かされ、その人のために自分ができることは何かを思い巡らし、そこに私たちを向かわせるのが「祈り」の力と言えるものです。「心に掛ける」ことに動機づけられて、自らが動かされていくのです。逆にいえば、そのようになっていかない祈りとは、私たちの中で「祈り」となっていないということになります。
渡辺和子さんの本の中に次のような一文があります。「祈りは神を変えません。私を変えるのです。」
祈ることで祈っている私自身が変えられて、神さまのみ心に適うように変えられていくという意味なのでしょう。
善いサマリヤ人のたとえで、「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10・37)とイエスさまが言われていることが、私たちの中で引き起こされていくのです。
改めて、「み心が天に行われるとおり、地にも行われますように」という主の祈りの一節を心に留めたいと思います。