+主教イグナシオ
欅の坂みち 2023年6月号
北半球の話ですが、主のご復活は草が芽生え、花が咲き、その名の通り命の季節となっています。しかしそれはまた、「雑草」との闘いの始まりでもあります。
一雨ごとに一斉に芽を吹いてくるのには、終わりがありません。中でも厄介なものの一つにドクダミがあります。小さいものは、茎のところで簡単に切れてしまい、根まで取れませんし、少し育ったものはある程度、根まで取れるのですが、その取れた根の下にもっと太くて丈夫な根があちこちに張り巡らされていて、その後はドクダミとのイタチごっこです。しかも、ドクダミを抜いた手はドクダミ特有の臭いが手に滲みついてしまいます。
しかし、考えてみると、単に「雑草」と言ってもそれは人間の側から見た基準に過ぎません。ドクダミにしても煎じて飲めば薬効があると言われています。抜く側の価値基準で「雑草」かどうかを仕分けしているに過ぎないのです。「雑草」にしてみれば、自分たちが生き残っていくために、長い時間をかけて進化してきたのでしょう。それでもまだ闘いは続くのですが…。
その「雑草」を抜いていてハタと思うことがあります。普段は立って上からの姿勢で地面を見ているのですが、手で草を抜く際は地面に這いつくばってしなければなりません。そうすると、自らが低くなることでいつもは見えていない景色が見えてきます。それは地面を這い回っている生き物たちや抜いても抜いても懲りずに生え出てくる草たちと同じ視線です。そのような地面にも、神さまが造られた命の営みが日々、絶えることなく続いているのです。いつも同じところからではなく、時には地面に這いつくばって姿勢を低くし、その低いところから世界を見てみることが必要なのかも知れません。