司祭ダビデ島田征吾
平塚聖マリヤ教会牧師
大磯聖ステパノ礼拝堂管理牧師
聖霊降臨後第十六主日(特定19)
ペトロは、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」とイエス様に尋ねました。当時のユダヤ社会では、赦すことにも限度があると考えられていたようです。創世記四章に「カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七七倍」と記されています。これは限度のない復讐を意味するものと理解されていたようです。しかしイエス様は、九九匹の羊を置いてでも迷った一匹の羊を探しにいく羊飼いの譬や、放蕩息子の譬を用いながら、どんな罪人であっても、回心を願い、赦して受け入れていくことを教えられました。イエス様の言動には、それまでのユダヤ社会の常識にはないものがありました。ペトロは初め、罪を赦す限度は七回までかと尋ねました。イエス様は「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」と答えられました。七の七十限度のないことを意味するようですが、このイエス様の答えはペトロの想像をはるかに超えていたようで、おそらくその様子を見たイエス様は、ペトロが理解できるように、一万タラントンの借金をしている家来の譬をもって説明してくださったのでしょう。
「デナリオン」は「一日の賃金」とのことですので一万円としてみます。「タラントン」は「六千デナリオン」に相当するそうなので、一万タラントンは六千億円となります。借金返済不能の場合は、財産も家族も全てのものが没収されますので、この家来は王様に必死に返済期限の延期を願いました。この王様はその家来を憐れに思い、借金を帳消しにしてあげました。返済期限の延長を願った家来の期待をはるかに超える赦しが与えられました。問題なのは、これだけの赦しをいただいた家来が、百デナリオン(百万円)を貸していた仲間を赦さなかったことです。
なんと愚かな家来かと思いますが、イエス様の指摘は、この家来と同じことを誰もがしているということです。実に私たちは、イエス様の十字架の苦しみによって罪を赦され救われていながら、他人の罪は赦せないのです。神様は、どんなに罪深い人間であっても、決して見捨てられず、回心することを望まれています。この真理を真摯に受け止めて、私たちは、この人間社会で隣人と誠実に関わらなければならない、そして、キリスト者が本当にひとつになるために、また世界が本当にひとつになるために、限度なく赦し合うことを、イエス様は望んでおられるのです。
教会は、イエス様による一致を求めて聖餐式を献げています。御聖体をいただく前に、一致を願う前に、私達がお互いの罪を赦し合うことが必要とされています。罪を懺悔してから平和の挨拶を交わします。そして御聖体をいただく前に、「主の祈り」を唱えます。十字架に挙げられたイエス様と共に祈る祈りにあって私たちは、イエス様に依らなければ誰の罪も赦されない、そして同時に、イエス様に依らなければ、人が人を赦すことはできないという、深く、限りない憐れみを感じ取ることができると思います。
(『横浜教区報』2023年9月号巻頭言より)
以下の旧約聖書、使徒書、福音書は『聖書 新共同訳』より引用しました。
©︎共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
©︎日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
旧約聖書続編 シラ書 27:30ー28:7
30憤りと怒り、これはひどく忌まわしい。
罪人にはこの両方が付きまとう。
1復讐する者は、主から復讐を受ける。
主はその罪を決して忘れることはない。
2隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、
願い求めるとき、お前の罪は赦される。
3人が互いに怒りを抱き合っていながら、
どうして主からいやしを期待できようか。
4自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、
どうして自分の罪の赦しを願いえようか。
5弱い人間にすぎない者が、
憤りを抱き続けるならば、
いったいだれが彼の罪を赦すことができようか。
6自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。
滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。
7掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。
いと高き方の契約を忘れず、
他人のおちどには寛容であれ。
詩編 103:8-13
8 主は恵み豊かに、憐れみ深く‖ 怒るに遅く、慈しみは深い
9 常に憤る心を鎮め‖ いつまでも怒りを続けられない
10 罪に従ってわたしたちをあしらわず‖ とがに従って罰を下すことはない
11 天が地より高いように‖ 神を畏れる人への慈しみは大きい
12 東と西が果てしなく遠いように‖ 神はわたしたちを罪から引き離される
13 父が子供を憐れむように‖ 主の憐れみは、神を畏れる人の上にある
使徒書 ローマの信徒への手紙 14:5-12
5ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。 6特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。 7わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。 8わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。 9キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。 10それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。 11こう書いてあります。
「主は言われる。
『わたしは生きている。
すべてのひざはわたしの前にかがみ、
すべての舌が神をほめたたえる』と。」
12それで、わたしたちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになるのです。
福音書 マタイによる福音書 18:21-35
21そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 22イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 23そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。 24決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。 25しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。 26家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。 27その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。 28ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。 29仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。 30しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。 31仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。 32そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。 33わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』 34そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。 35あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」