「自分を無にして」

司祭ダニエル竹内一也
横浜山手聖公会牧師

聖霊降臨後第十八主日(特定21)

「キリストは
神の形でありながら
神と等しくなることに固執し
ようとは思わず
かえって自分を無にして
僕の形をとり
人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ
へりくだって、死に至るまで
それも十字架の死に至るまで
従順でした。」
(フィリピ 二・六―八)

パウロは人々に「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考えなさい。」と勧めて、キリストについての讃歌に言及しました。その中で「自分を無にして」「死に至るまで従順」という言葉が私たちが向かうべき方向を示しています。

この讃歌を聞くと、旧約聖書にあるナアマンの物語を思い起こします。(列王記下五章)ナアマンはイスラエルの隣国アラムの将軍で人望が厚く王からも人々からも重んじられていました。しかし、「規定の病」を患うという大きな悩みがありました。イスラエルから捕らえられて彼の妻に仕えていた少女から「サマリアにいる預言者のところに行けば癒してもらえる。」と伝えられます。ナアマンはアラムの王からの支援を受け大がかりな準備をして部下を引き連れ馬と戦車で預言者エリシャの元にやって来ます。

エリシャは使いの者を通じて「ヨルダンに行って七度身を洗いなさい。」と告げます。これに対してナアマンは怒りました。「私は、彼が自ら出て来て私の前に現れ、彼の神、主の名を呼んで、患部に手をかざし、病を癒やすものとばかり思っていたのだ。ダマスコの川であるアバナやパルパルのほうがイスラエルのどんな水よりも良いではないか。それなのに、これらの川で洗っても、清くなれないというのか。」こう言ってエリシャのもとを立ち去ったナアマンをなだめて家臣たちが進言します。求めていることはごく単純に「川で洗って清くなれ」ということだから言われたとおりにしたらどうか。そこでナアマンはエリシャに言われたとおりにヨルダン川に七度身を浸しました。するとナアマンの患っていた体は「少年の体のように清くなった。」と記されています。「少年」と訳された言葉、以前の聖書では「小さい子供」と訳されていました。以前からこの話を聞いたり読んだりしたときにイエス・キリストが幼子として生まれたことを連想していました。

ナアマンが馬や戦車をひきいて救いに至ろうとしたのに対してエリシャが伝えた救いのメッセージは単に川で身を洗いなさいということでした。そして単純に、そして従順に伝えられたその言葉に従うことで彼の肌は幼子のような肌に戻りました。

キリストがこの地上に来られてされたことは、幼子として生まれて十字架の死に至るまで小さな存在となり無に向かっていくことだったように思えます。キリストのように本当に無になるということはできることではないと思いますがキリストがどこに向かっておられたかを絶えず思い起こすことが大切だと思います。ナアマンが癒された時の鍵は伝えられた言葉に従順であるということでした。「自分を無に」「従順」ということを大切にしたいと思います。

(『横浜教区報』2023年10月号巻頭言より)

以下の旧約聖書、使徒書、福音書は『聖書 新共同訳』より引用しました。
©︎共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
©︎日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

旧約聖書 エゼキエル書 18:1-4,25-32

1主の言葉がわたしに臨んだ。 2「お前たちがイスラエルの地で、このことわざを繰り返し口にしているのはどういうことか。
『先祖が酸いぶどうを食べれば
子孫の歯が浮く』と。
3わたしは生きている、と主なる神は言われる。お前たちはイスラエルにおいて、このことわざを二度と口にすることはない。 4すべての命はわたしのものである。父の命も子の命も、同様にわたしのものである。罪を犯した者、その人が死ぬ。
25それなのにお前たちは、『主の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。 26正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。 27しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。 28彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。 29それなのにイスラエルの家は、『主の道は正しくない』と言う。イスラエルの家よ、わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。
30それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。 31お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。 32わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。

詩編 25:4-10

4 主よ、あなたの道を示し ||  その道筋を教えてください
5 真理のうちにわたしを教え導いてください || あなたはわたしの救い、いつの日も、わたしはあなたを待ち望む
6 主よ、あなたの憐れみと慈しみを思い出してください ||  それは昔から変らないもの
7 若いときの罪と過ちに心を留めず ||  慈しみ深くわたしを思い出してください
8 主は憐れみ深く正しい方 || 罪人に道を示される
9 神は貧しい人を正義に導き || へりくだる人にその道を授けられる
10 契約と諭しを守る人に ||  主の道筋は慈しみとまことに溢れる

使徒書 フィリピの信徒への手紙 2:1-13

1そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、 2同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。 3何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、 4めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。 5互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。 6キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、 8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。 9このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。 10こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、 11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
12だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。 13あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。

福音書 マタイによる福音書 21:28-32

28「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。 29兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。 30弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。 31この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。 32なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」

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