「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしい」

主教イグナシオ入江 修

イースター・メッセージ

私たちは、2月14日の大斎始日(灰の水曜日)から始まった主日を除く40日の歩みを通して、この間、自らの内には自らを救い得るもののないことを、痛みを伴いながら見つめ、そして、そのような中から、私たちの救いはただイエスさまの十字架によらなければならないことを日々、黙想し憶えて参りました。

イエスさまの十字架は死によって終わることなく、死を打ち砕く復活の命に至りました。こうして私たちは、ご復活のイエスさまが弟子たちに命じられた洗礼のサクラメントにより、イエスさまの十字架と共に罪にあって死に、神にあって生かされたのです。

しかしながら、死者の復活というものは、聖書が証しているさまざまな出来事の中でも、私たちにとって最も理解し難いものと言えましょう。なぜなら、それは、私たちの常識では何とも説明のつかない出来事であるからです。

しかし、ヘブライ人への手紙第11章1節には、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」とあり、更に16節には、「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。」とあります。

つまり、イエスさまの復活について、私たちは自分の力に寄り頼んでそれを理解しようとすることから自らを解き放たなければなりません。

信仰は、自らの理解をはるかに超えたことに確信をもって自らを懸けてゆくことだからです。イエスさまが福音書の中で教えておられるのも、理解することではなく「信じる」ということでした。

水の中の景色を水の外からあれこれ考えても、それを理解することは私たちには困難です。しかし、水の中に我が身を沈めてみれば自ずと見えてきます。

私たちの理解の及ばぬことを拒絶するのではなく、信じるということはそのことに懸けて身を委ねていくということではないでしょうか。

そして、信じて我が身を神にお委ねしたところに、新しい世界、すなわち、死んでも生きる命の輝く世界がイエスさまを通して神によって備えられているのです。

イエスさまがどのようにして復活されたか、それは福音書には記されていません。そこには空っぽの墓だけが記されており、この復活の事実を受け入れること、つまり、この復活に私たちが身を委ねることが、イエスさまが繰り返し教えられ、そして求めておられたことなのだと思います。

主は復活を疑う弟子のトマスに言われます。「信じない者にならないで信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)と。

主のご復活こそ信仰による命の希望、すなわち、私たちの救いの寄りどころです。

主イエス・キリストのご復活をごいっしょに心より喜び祝いましょう。

ハレルヤ 主は甦られた!

(『横浜教区報』2024年4月号巻頭言より)

以下の旧約聖書、使徒書、福音書は『聖書 新共同訳』より引用しました。
©︎共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
©︎日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

使徒言行録 10:34-43

34そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。 35どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。 36神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、 37あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。 38つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。 39わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、 40神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。 41しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。 42そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。 43また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」

詩編 118:14-17、22-24

14 主はわたしの力、わたしの歌 || 神こそわたしの救い
15 喜びと勝利の叫びが正しい人の天幕にある || 「主の右の手は力を示す
16 神の右の手は高く上がり || その右の手は力を示す」
17 わたしは生き長らえて死ぬことなく || 主のみ業を告げ知らせよう
22 家造りの捨てた石が || 隅のかしら石となった
23 これは主のみ業 || 人の目には不思議なこと
24 今日こそ主が造られた日 || この日をともに喜び祝おう

使徒書 コロサイの信徒への手紙 3:1-4

1さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。 2上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。 3あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。 4あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。

福音書 マルコによる福音書 16:1-8

1安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。 2そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。 3彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。 4ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。 5墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。 6若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 7さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 8婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

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