司祭 トマス吉田仁志
聖霊降臨日
とある日曜日、鴨川での礼拝を終え、館山の教会へ戻るべく車を走らせておりますと、大きな富士山が視界へと入ってまいりました。房州へ異動となって数か月、その時まで、ここから富士山が見えることに気付いていなかったのです。この時の経験は、まさに「目からうろこのようなものが落ちる」感覚でした。新しい環境での働きで心が一杯一杯になっていたのでしょうか、肉体としては見えていたものに気付いていなかった。つまり、「心の目」が向いていなかったのです。
宗教、ことにキリスト教は「心の目」を大切にする宗教であることは、ニケヤ信経において「天地とすべて見えるものと見えないものの造り主を信じます」と告白している事にも明らかです。人間は普段、神さまの姿を見ることはできません。にもかかわらず、神さまがおられることを知っています。それは聖霊を通して、神さまが私たちと共におられるからです。目には見えなくても確かにおられる神さまの働きはヘブライ語では「ルーアッハ」、ギリシア語では「プネウマ」と表現され、そのどちらも「風」や「息」を意味します。アダムが神さまの息によって生きるものとされたように。私たちは日々、神さまによって生かされているのです。そのように考えますと、私たちが生きていること自体が神さまの存在証明だともいえるのではないでしょうか。そして、その目に見えない神さまの恵みを、目に見えるしるしとしていただくのがサクラメントであり、それによって私たちはキリストと出会い、つながるのです。
復活したイエスさまは天に上げられる際、使徒たちに「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる」(使徒1:8)と語られました。そして五旬祭の日に、その言葉は現実のものとなりました。「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人ひとりの上にとどまった」のです。「すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」と聖書には記されています。ここで注目すべきことは、その場には、すでにいろいろな国の言葉を話す人たちがいたのだということです。聖霊が降ると、私たちは地の果てまで、イエスさまを証しする者となるのだとおっしゃいました。もちろん、それは自分の力によるのではなく、聖霊を通して神さまが与えてくださった力によるのです。私たちは自分の舌ではなく、神さまが与えてくださった炎のような舌によって語るのです。その福音は特定の人ではなく、すべての国、すべての人、どのような立場の人にも伝えなければならないのです。
聖霊降臨日はしばしば教会の誕生日とも言われています。それは聖霊降臨の出来事により、教会が福音を宣べ伝え、サクラメントを執行できるようになったからです。イエスさまご自身が聖霊を通して、サクラメントを執行してくださるのです。そして、そこには時間や空間を超えた兄弟姉妹が共にいるのです。
(館山聖アンデレ教会牧師)
(南三原聖ルカ教会管理牧師)
(安房大貫キリスト教会管理牧師)
(鴨川聖フランシス教会管理牧師)
(『横浜教区報』2024年5月号巻頭言より)
特祷
次のうちいずれか一つを用いる。
特祷は前夕と当日用い、続く週日の特祷は、聖霊降臨日に最も近い特定のものを用いる。
全能の神よ、この日あなたは、約束された聖霊の降臨によって、すべての民族、国民に永遠の命の道を開かれました。どうか福音の宣教によって、この聖霊がますます世界に注がれ、地の果てにまで広がりますように、聖霊の一致のうちに父と一体であり、世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
神よ、あなたはこの時に聖霊を降し、そのみ光によってみ民の心を照らしてくださいました。どうかわたしたちも同じ聖霊によって万事を誤りなくわきまえ、常にそのみ助けを喜ぶことができますように、父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
日本聖公会祈祷書より
以下の旧約聖書、使徒書、福音書は『聖書 新共同訳』より引用しました。
©︎共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
©︎日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
使徒言行録 2:1-11
1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。5さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、6この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。7人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。9わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
詩編 35:30-35
30 あなたが息を送られると、すべては生き || 地の面は新たになる
31 主の栄光はとこしえに || 主がそのみ業を喜ばれるように
32 神が目を注がれると、地は揺れ動き || 山々に触れられると煙を吐く
33 わたしは生涯、主に向かって歌い || 命ある限り神をたたえよう
34 わたしの思いが神の前に喜ばれるように || わたしは主のうちにあって喜ぶ
35 罪人が地上から姿を消し、悪人がいなくなるように || 主をたたえよ、わたしの魂よ、ハレルヤ
使徒書 コリントの信徒への手紙I 12:4-13
4賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。5務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。6働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。7一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。8ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、9ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、10ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。11これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。12体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。13つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。
福音書 ヨハネによる福音書 20:19-23
19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。20そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。21イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」22そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」