欅の坂みち 2024年6月

+主教イグナシオ

欅の坂みち 2024年6月号

 

 ねぎらいの気持ちを相手に伝える言葉には、「ご苦労さま」や「お疲れさま」が、日常、いろいろな場面でよく耳にします。

 礼拝直後に「お疲れさまです」と言われると、何とも複雑な思いではありますが…

 坂の上の欅は、枝おろしをしてもらって落ち葉は減りましたが、ゴミ出しのついでにゴミ・ステーションの掃除をすることがあり、そんな折に声を掛けられて素直に嬉しいと思ったのは、「ありがとうごさいます」という言葉です。

 「ご苦労さま」と言われることもあるのですが、私にとってそれは義務ではありませんので、何となくしっくりこない感じです。

 しかし、「ありがとうございます」と声を掛けられると素直に嬉しくなります。それは、「ありがとう」という言葉が何らかの義務に対する労いではないからなのでしょう。なすべきことに対する労いが「ご苦労さま」、或いは「お疲れさま」であるならば、「ありがとう」はそうした前提のない、自由で自発的なことに対する労いの言葉だからでしょうか。それで、嬉しくなってしまうのだと思います。

 そういえば、“Thank you”という英語の言葉も、人が互いに出会う度にあちこちで交わされています。

 「ありがとう」という感謝の言葉は、どんな場面でもお互いの立場に関係なく同じ目線に立って相手を労い、そして尊重するという意味で使われている言葉なのではないでしょうか。

 一日の終わりに、今日は何回「ありがとう」を言えただろうかと振返ってみるのもよいかも知れません。

 聖書は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16-18)と教えています。

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