司祭 バルナバ 吉川 智之
(マルコによる福音書第7章31節-37節)
超教派の交わりがありますと会合の最後に「では、最後にお祈りをお願いします」とお願いされることがありました。それぞれの教会が交替でお祈りをする慣わしになっているようで、他の教会では信徒の方がお祈りをされるのですが、聖公会が当番の時には「では、お祈りをしますね。」と自分が引き受けることがありました。一緒に来られていた信徒の方は唐突に手元にテキストがない状態では難しいだろうという自分なりの配慮でありました。それが良かったのか悪かったのかは分かりませんが、他の教会では信徒の方が自由祈祷をされても、当方では難しいだろうと思ってのことでした。
聖公会には祈祷書がありますので手元にテキストを置いてお祈りをすることがほとんどです。テキストが無い状態でお祈りしてくださいと言われましても多くの方が困ってしまうのではないでしょうか。以前の私もそうでありました。ですが祈りについて学ぶことで自分でもハンズフリーで祈ることができるようになりました。
祈りには種類があります。「祈願」「感謝」「懺悔」「賛美」の4つがあると教わりました。自分の祈りが何にあたるのかを始めに理解して始めることが肝要です。
また祈りには構造があります。祈祷書の特定18の特祷を例に見てみましょう。
「主よ、どうか主の民に世と肉と悪魔との誘惑に打ち勝つ恵みを与え、清い心と思いをもって、唯一の神に従うことができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。」
始めに誰に祈るのか、祈りの対象に呼びかけます。「主よ」「憐れみ深い全能の神よ」あるいは「神よ」でも大丈夫です。祈る対象は祈りですので父なる神か主イエスか聖公会ではどちらかになることが多いでしょう。その対象を思い浮かべて始めます。
そして、この特祷の種類は「祈願」となります。祈願の主文が「どうか主の民に・・・」と続きます。この祈りは特祷ですので教会を代表して祈っています。ここを「私に」「私たちに」「○○さんに、~~をお願いします」という形に替えても大丈夫です。
最後に「主イエスの御名によって」あるいは「主イエス・キリストによってお願いします」として主に祈りをお献げして終わります。
祈祷書の特祷また諸祈祷、感謝には私たちの参考になる祈りがたくさん載っていますので参考としてよくお読みください。
最後になりますが、私たちが祈る祈りは私独りで祈るのではありません。主が私たちの耳を開き、舌のもつれを取ってくださったことで祈りがあるのです。その働きを信頼することが大切です。祈りは最も身近にある神秘であると思います。主から信仰を与えられた私たちが、私の中に働く聖霊の助けによって、私だけの祈りを超えて、神への思いを言葉にする行いです。神から出た言葉が、私たちを通った肉声の言葉となって神へと返っていく、その往還のうちに神と私たちが一体となっていくとも言えます。祈祷書を唱えているときも、自由に祈るときもそのそれぞれにイエス・キリストの御働きのうちに私たちはお祈りをお献げしているのです。
(浜松聖アンデレ教会牧師)
(『横浜教区報』2024年9月号巻頭言より)
特祷 特定18
主よ、どうか主の民に世と肉と悪魔の誘惑に打ち勝つ恵みを与え、清い心と思いをもって、唯一の神に従うことができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
日本聖公会祈祷書より
以下の旧約聖書、使徒書、福音書は『聖書 新共同訳』より引用しました。
©︎共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
©︎日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
旧約聖書 イザヤ書 35:4-7a
4心おののく人々に言え。
「雄々しくあれ、恐れるな。
見よ、あなたたちの神を。
敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
神は来て、あなたたちを救われる。」
5そのとき、見えない人の目が開き
聞こえない人の耳が開く。
6そのとき
歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで
荒れ地に川が流れる。
7熱した砂地は湖となり
乾いた地は水の湧くところとなる。
詩編 146:5-10 または 146
1 ハレルヤ∥ わたしの魂よ、主をたたえよ
2 命ある限り主をたたえ∥ わたしは生ける限り主をほめ歌う
3 この世の支配者たちに頼ってはならない∥ 救う力がない人の子に頼ってはならない
4 人は息絶えて土に帰り∥ その日、すべての企てはむなしくなる
5 ヤコブの神を助けとし∥ 主に希望をかける人は幸せ
6 神は天と地を造り、海とその中のあらゆるものを形造り∥ とこしえにまことを示された
7 虐げられた人のために審きを行い∥ 飢え渇く人にパンを恵み、捕らわれ人を解放される
8 主は見えない人の目を開き∥ 卑しめられている人を高め、正しい人を愛される
9 主は他国から来ている人を守り∥ 身寄りのない子供とやもめを支え、悪人の企てを砕かれる
10 主はとこしえに治められる∥ シオンの神は世々に、ハレルヤ
使徒書 ヤコブの手紙 1:17-27
17良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。18御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。
19わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。20人の怒りは神の義を実現しないからです。21だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
22御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。23御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。24鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。25しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。
26自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。27みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。
福音書 マルコによる福音書 7:31-37
31それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。32人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。33そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。34そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。35すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。36イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。37そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」