司祭 ペテロ 松田 浩
(マルコによる福音書 第10章46節-52節)
2年に1度行われる日本聖公会総会で毎年(特定25)を用いる日を、社会事業の日として憶える主日に定められていることは多くの皆が周知されていることと思います。
横浜教区内でも多岐に渡る社会事業が展開され、日々それぞれの地にある施設で主から委ねられた尊い働きをされていること、その施設に関わるすべての関係者を憶え祈ります。また、事業ではなくとも、子ども食堂や難民支援ボランティアなど教会の働きやキリスト者の働きとして社会福祉活動を実践されている多くの方々がおられることを私たちは知っています。その方々の働きにも感謝を憶える主日であると思っています。
この日、1人の人間の行動を通して、私たちは改めて自身の行動の源の確認を迫られます。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
何年も何年もそこに住む人々からバルティマイと名前を憶えられるくらい長い間、来る日も来る日も同じ場所で物乞いをしていたその人は盲人でした。今日の日まで、その人は周りにいる人たちがイエス様のことを噂するのを聞いていたのだと思います。方々の町や村で多くの人々の病を癒している人がいる、様々な奇跡を行っているイエスという人物がいるらしいと。そのイエスが、今、自分のすぐ近くに来ている、大声で叫びました。「私を憐れんでください。」
何度も何度も。周りにいる人に何を言われようとも心の底から大声で叫び続けました。
ここから、イエス様の奇跡が始まります。イエス様は「何をしてほしいのか」とお尋ねになりました。バルティマイはただひたすら見えるようになることを求めました。イエス様はただ一言おっしゃられます「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と。見えるようになったバルティマイは、望みがかなえられた後も「なお道を進まれるイエスに従った」と記されています。彼の姿は、肉体の目が見えるようになったことに留まらずイエス様によって見えるようにしていただいた者の姿を現していいます。
私たちはいつも、自分自身の信仰の源はどこから湧いているのか振り返るように促されています。私たちの言動は聖なる三位一体の神様から始まり、主よりの一方的な恵みによってそれぞれ主からお預かりした賜物を用いて主の働きのために、主のためとなるようにとそれぞれの器を用い働き、主のためとなることこそ自らの働きでありますようにと祈ります。
自らの思いと行いは、主から始まり主の御許へと帰るものでなければならない。それでもそのようにできない自分がいると知っているからこそ、主は、聖餐式の中で、私たちに懺悔する時をお与えくださっています。
聖なる三位一体の神様は、私たちにもバルティマイのように、すべてを主に信頼し、委ね、主と共に歩むことができるように、私たちに寄り添い支えてくださっています。
神様の愛に守られている私たちも、イエス様が示してくださった、「心と思いと力を尽くして主を愛し、隣人を自分と同じように愛する」という掟を胸に、信仰の道をしっかり歩みましょう。
(藤沢聖マルコ教会牧師)
(『横浜教区報』2024年10月号巻頭言より)
特祷 特定25
全能の神よ、み子イエス・キリストは、小さい者のために行うことはわたしのために行うことになる、と教えられました。すべての人の僕となり、わたしたちのために命を捨て、死なれたみ子のように、わたしたちにも隣り人の僕となる心をお与えください。父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
日本聖公会祈祷書より
以下の旧約聖書、使徒書、福音書は『聖書 新共同訳』より引用しました。
©︎共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
©︎日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
旧約聖書 イザヤ書 59:(1-4),9-19
1主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。 2むしろお前たちの悪が/神とお前たちとの間を隔て/お前たちの罪が神の御顔を隠させ/お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。 3お前たちの手は血で、指は悪によって汚れ/唇は偽りを語り、舌は悪事をつぶやく。 4正しい訴えをする者はなく/真実をもって弁護する者もない。むなしいことを頼みとし、偽って語り/労苦をはらみ、災いを産む。
9それゆえ、正義はわたしたちを遠く離れ/恵みの業はわたしたちに追いつかない。わたしたちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ/輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている。10盲人のように壁を手探りし/目をもたない人のように手探りする。真昼にも夕暮れ時のようにつまずき/死人のように暗闇に包まれる。11わたしたちは皆、熊のようにうなり/鳩のような声を立てる。正義を望んだが、それはなかった。救いを望んだが、わたしたちを遠く去った。12御前に、わたしたちの背きの罪は重く/わたしたち自身の罪が不利な証言をする。背きの罪はわたしたちと共にあり/わたしたちは自分の咎を知っている。13主に対して偽り背き/わたしたちの神から離れ去り/虐げと裏切りを謀り/偽りの言葉を心に抱き、また、つぶやく。14こうして、正義は退き、恵みの業は遠くに立つ。まことは広場でよろめき/正しいことは通ることもできない。15まことは失われ、悪を避ける者も奪い去られる。主は正義の行われていないことを見られた。それは主の御目に悪と映った。16主は人ひとりいないのを見/執り成す人がいないのを驚かれた。主の救いは主の御腕により/主を支えるのは主の恵みの御業。17主は恵みの御業を鎧としてまとい/救いを兜としてかぶり、報復を衣としてまとい/熱情を上着として身を包まれた。18主は人の業に従って報い/刃向かう者の仇に憤りを表し/敵に報い、島々に報いを返される。19西では主の御名を畏れ/東では主の栄光を畏れる。主は激しい流れのように臨み/主の霊がその上を吹く。
詩編 13
1 主よ、あなたはいつまでわたしをお忘れになるのですか∥ とこしえにみ顔を隠されるのですか
2 いつまでわたしは悩み苦しみ、心に痛手を受け∥ いつまで敵は勝ち誇るのですか
3 わたしの神、主よ、顧みてわたしにこたえ∥ 死の眠りに就かないように、目に光を与えてください
4 「勝利はわたしのもの」と敵に言わせず∥ わたしが倒れて敵が喜ばないようにしてください
5 あなたの慈しみに寄り頼み∥ わたしは心からあなたの救いを喜ぶ
6 主をたたえて歌おう∥ 神は豊かに恵みを注がれた
使徒書 ヘブライ人への手紙 5:12-6:1,9-12
12実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。13乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。14固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。
1だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。
9しかし、愛する人たち、こんなふうに話してはいても、わたしたちはあなたがたについて、もっと良いこと、救いにかかわることがあると確信しています。10神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。11わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。12あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。
福音書 マルコによる福音書 10:46-52
46一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。47ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。48多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。49イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」50盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。51イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。52そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。