欅の坂みち 2024年11月号
+主教イグナシオ
ロシア軍のウクライナ侵攻の後には、ハマスによる奇襲に端を発してイスラエル軍のガザ侵攻が始まり、更にイスラエル軍はヒズボラの拠点があるレバノンにも攻撃を行い、それに対しては、その後ろ盾といわれるイランがイスラエルへの弾道ミサイル攻撃を行いしました。今度は、イスラエルがその報復に言及しています。
そこにはお互いの大義があり、相互に自らの正当性を主張し合っています。けれども、己の正当性を主張すればするほど対立は深まり、報復が繰り返されて争いの連鎖の渦の中に双方が巻き込まれていきます。
報復の連鎖は、全面戦争にエスカレートする可能性を秘めています。
抑止力としての武力については議論がありますが、自らを正当化してその大義をもって相手を裁こうとする驕り高ぶりが争いを激化させ、限りない報復の連鎖を生み出していくのではないでしょうか。
コロナ禍にあった、いわゆる「マスク警察」といったものも、そしてニュースで話題になって久しい「あおり運転」にしても、その根底にあるのは自らの正当性を振りかざして相手を裁こうとする思い上がりではないでしょうか。
正義が自らにあるとの思い込みが強いほど、相手への非難は激しさを増し、断罪へと走ってしまうのです。
アダムは食べてはならない木の実を食べた時、「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」といって神に責任を転嫁して、自らの正当性すら主張しています。
しかし、神のみ前でほんとうに義とされたのは、自らを義とするファリサイ派の人ではなく、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら罪を告白し、ひたすら神の憐れみを祈り求めた徴税人であると、イエスさまは言われるのです。