横浜教区社会委員会が発行しているニュースレター『ちいさな手』第27号をアップロードしました。どうぞお読みください。
横浜教区社会委員会ニュースレター『ちいさな⼿』第27号をお届けします。
今号は横浜教区、特に平塚聖マリヤ教会と久しくお交わりのある社会福祉法⼈進和学園様の特集号となります。出縄理事⻑がお忙しい中、快くお引き受けくださり原稿を執筆してくださいました。ぜひ進和学園を知る機会としてお読みいただければ幸いです。
横浜教区宣教主事 司祭パウロ窪⽥真⼈
「平塚聖マリヤ教会様と進和学園のご縁に感謝」
社会福祉法⼈ 進和学園 理事⻑ 出縄守英
このたび平塚聖マリヤ教会様とのご縁から、貴重な紙⾯を使わせていただく機会を賜りありがとうございます。進和学園の成り⽴ちと永年のご縁の経緯と現在の活動につきまして、エピソードを含めて紹介させていただきます。古い話もありますがご容赦ください。進和学園は、1957(昭和33)年6⽉12⽇に知的障がい児30名の⼊所施設を開設したことから始まり、利⽤者ご本⼈のニーズにより神奈川県平塚市内で知的ハンディのある⽅々を⽀援する障がい福祉施設・事業所10か所や保育園3園、学童保育2か所、障がいのある⽅のアート製品の常設販売と喫茶店等を運営している創設66年⽬の社会福祉法⼈です。
進和学園の成り立ちと永年のご縁について
1957(昭和33)年、神奈川県下で初めて後ろ盾のない⺠間⼈が⾃宅を開放して始めた施設であり、創始者ステパノ出縄明 (以下、明)は1925(⼤正14)年⽣まれで33歳でした。開設のきっかけは少年時代に遡ります。明は少年時代に吃⾳障がいで悩み、その悩みは⼦ども⼼に深刻で⾃死を試みましたが果たせず、⾃分の経験をもとに弱い者のために尽くしたいと決⼼しました。その後、時代は太平洋戦争に突⼊し、明は海軍航空隊に志願し零戦の訓練を受けました。当時訓練中に墜落死した戦友もいました。もう少し終戦が⻑引けば特攻隊として出撃したことになりますが、訓練中に終戦を迎えました。さらにその後、当時不治の病と⾔われた結核を患い、左肺を全摘し闘病します。その間、俳句に没頭しました(⽣涯の趣味は俳句で、晩年に句集を発⾏しました)。回復後、神奈川県⽴平塚盲学校の教職3年、知的障がい児⼊所施設指導員1年を経て進和学園を開設しました。明は吃⾳障がい、戦争、結核と3度の死に直⾯するも⽣きながらえました。そのような決死の思いがあって進和学園は、社会の中で弱い⽴場の⼈たちを⽀えるために、理念を「本⼈中⼼」としています。その意味は、ハンディのある利⽤者ご本⼈(以下、ご本⼈)を真ん中に置いて、ご家族、地域社会、ボランティア、⾏政、職員、法⼈(進和学園役員)が連携してご本⼈を⽀える七つの輪が基本としています。「⼀⼈には⼀⼈のひかり」を標語に、ご本⼈の絶対尊重と社会参加を実践してきました。明は2010(平成22)年難病を発症して85歳で永眠。私は明の次男として⽣まれ、進和学園の中で⽣まれ育った経緯があり、現在その運営を引き継いでいる⽴場であります。
明が⽣まれる前の話になりますが、明の⺟・ナオミ美根は、⽗・意太郎とともに夫婦でアメリカ⼤陸カリフォルニア州サクラメントに渡り、農地開拓に励みました。ハネムーンは太平洋の船旅でした。アメリカ帰りの美根はハイカラだったようで、家にはスプーンがありました。農村部だった旭村の⽅は、初めてスプーンを⾒て使い⽅がわからず、逆に持ってカップをかき回していたそうです。そのアメリカ時代に出会ったキリスト教の愛の精神が進和学園の根本となり、明も信仰することとなりました。進和学園開設から園⺟として運営を⽀えた美根のトレードマークは⽩い割烹着でしたが、苦労も⼤変なものがありました。地域の農家に朝から野菜をもらいに歩いたり、地域のご婦⼈に協⼒を求めて給⾷や⾏事などを⼿伝ってもらったり、貧しい福祉施設であった進和学園を助けてもらいました。⼀⽅でまとまったお⾦が⼊れば、ご恩返しのために⾷材を購⼊してご近所に配ったりして、感謝の気持ちは忘れませんでした。美根は、隣町である⼤磯町の児童養護施設エリザベス・サンダース・ホームの澤⽥美喜様とも交流がありました。美根は1969(昭和44)年に地域の⼦育て⽀援の要望から開設した「いずみ保育園」の園⻑を8年間勤め、その後も園⺟として進和学園を⾒守りながら1995(平成7)年1⽉17⽇に満94歳で安らかに永眠しました。
進和学園の開設準備に追われながらも、明は兄・光貴の紹介で、兄の勤める会社(ホンダ浜松製作所)の部下であった⺟と結婚することになります。エピソードですが、兄は⺟の負けん気の強さと経理事務だったそろばん等の能⼒を買っていたようです。兄の直感は的を得て施設運営では⼤変役⽴ったようです。しかし、浜松のOL(オフィス・レディ)時代に習い事や趣味を楽しみ、同僚とともに⻘春を謳歌していた⺟が、当時農村地域で、これから開設する貧しい福祉施設(当時「寺⼩屋」「すずめのお宿」に例えられました)に嫁ぐのは、苦労を承知の上でのことなので、かなりの決断だったと思います。初めて⺟が来た時はハイヒールだったため、ぬかるんだ道に⾜をとられたそうです。晩年85 歳になった⺟にその疑問を尋ねたところ、その答えは「⾃分でもわからない。⽬に⾒えぬご縁があったとしか思えない…」ということでした。⼈⽣の岐路で⽬の前の壁を乗り越え、逃げずに⾛り続けてきたのは、11歳の時に終戦を迎えた苦い体験と⽣来の負けん気の強さだったのでしょう。しかし、その後夢⾒るようにポツリと「浜松にいれば違う⼈⽣があったかなぁ…」と今さら少し後悔しているようでした…。
話はもどって1958(昭和33)年、結婚に当たり、⺟モニカは洗礼をうけることになります。⺟は既に浜松から嫁ぎ、開設したばかりの進和学園の⼊所施設の勤務に⼊っていました。経理事務、給⾷調理(児童30名分の⼀⽇3⾷)、栄養計算、洗濯など⽇夜業務多忙のため、教会へ通えないことから平塚聖マリヤ教会の司祭さんが進和学園を夜に訪問してくれて、聖書の教えを説いてくれました。1959(昭和34)年5 ⽉に結婚式は平塚聖マリヤ教会で挙げまして、披露宴は隣の農業会館で⾏いました。披露宴は当時では珍しく会費制で⾏い、⾷器類を明が⾃らバイクで運んで準備しました。当時の⼾川貞雄平塚市⻑夫妻が媒酌⼈を務めてくれました。
開設当時は児童福祉法のみで、⼤⼈の制度はまだありませんでした。それでも進和学園に集まってくる⼤⼈の⼈たちがいられました。そのうちのA さん夫婦(夫アシジのフランシス・妻アグネス)は、お互いに知的ハンディがありながらも1962(昭和37)年平塚聖マリヤ教会で挙式を上げました。その陰には遠⼭司祭のご指導と⽥崎司祭の献⾝的努⼒がありました。挙式の当⽇、⻘年会様の聖歌のリズムを新郎の⽗上は「天上の⾳楽を聴きました」と感泣されました。A さん夫妻は、助け合いながら、進和学園の夫婦寮で暮らし、働き、天寿を全うされました。
またB さん(ペテロ)は、軽度の知的ハンディがありましたが、1962(昭和37)年⽇本聖公会⼩⽥原聖⼗字教会⽯川司祭とともに進和学園を訪ねられ「何か仕事に就きたいのですが」と⾔われました。以降、B さんは進和学園内で暮らし、平塚市内⼩中学校の学校清掃・体育館清掃、福祉の店の店員として働きながら、熱⼼に平塚聖マリヤ教会の⽇曜礼拝に通われました。他にも多数の⼤⼈の⼈たちが集まり、この⽅たちの「働きたい」「暮らしたい」の想いが進和学園の施設体系を考える上で道しるべとなりました。そのように平塚聖マリヤ教会とのご縁は深く、当時の特別⽀援学校の村瀬先⽣、ダビデ島⽥司祭、平塚聖マリヤ教会皆様とは懇意にさせていただき、毎年秋のバザーには、進和学園も参加し温かい交流をもたせていただいております。
「働くよろこび」について
おかげ様で、進和学園は厳しい時代を経ながらも、地域社会のご理解ご協⼒のもと現在に⾄ります。「本⼈中⼼」を理念に「⽣活のよろこび(⽣活⽀援)」「働くよろこび(就労⽀援)」「学ぶよろこび(保育・療育⽀援)」を3本柱としています。特に就労⽀援・⽇中活動の取組みは社会との接点となっています。明の兄のご縁から50 年間受注させていただいているホンダ⾞部品組⽴作業をはじめ、開設当初からの作業である原⽊しいたけ栽培と陶芸、そして製パン・製菓(湘南みかんぱん等)、農産品加⼯(とまとジュース・ジャム等)、ブルーベリー栽培、農園芸、製粉、レザークラフト、紙すき、染めふきん、絵画、いのちの森づくり(横浜国⽴⼤学名誉教授であった故宮脇昭先⽣ご指導によるどんぐりポット苗栽培と植樹活動等)、ボールペン組⽴、クリーニング作業、公園清掃、地元スーパーへの施設外就労、ともしびショップ(軽⾷喫茶ホットケーキパーラー)の営業、さらに⼀般企業・会社への就職、定着を⽀援する活動にも取り組んでいます。
進和学園の就労⽀援・⽇中活動の基本精神は、試⾏錯誤を繰り返し「断らずにチャレンジする!」です。ありがたいことに社会から仕事・作業の連携の呼びかけや発注をいただくことが増えました。まずは前向きにやってみると、想定外のつながりが⽣まれて、地産地消、農福連携、⾷育、環境、防災、福祉教育、6次産業化等の付加価値となり、社会参加の輪が拡がることがわかりました。その真ん中にご本⼈がいて、そのご本⼈の⾃然体のありのままのパワーが、社会を柔らかくつなげる接着剤になったり、競合してぶつかり合う部分のクッション材になったりします。進和学園の理念「本⼈中⼼」が社会の中でも実現できることを⽬指しています。
「生活のよろこび」について
利⽤者ご本⼈がライフサイクルの中で必要な時期に、必要な⽀援を、⾃分で選んで決められる循環型サービスの構築に努めています。暮らしのスタイルは家族同居、⼀⼈暮らし、グループホーム、⼊所施設(⻑期・短期)等と様々です。セーフティーネットがあればチャレンジできます。友達、仲間がいれば楽しく過ごせます。余暇活動のスポーツ・⽂化の同好会活動(⾳楽・茶道・⽣け花・絵画・陶芸・囲碁・相撲観戦・卓球・サッカー・バドミントン・ジョギング等)は⼼豊かな⼈⽣のために必要です。誰もが共感できる「ともに⽣きる社会」を⽬指しています。
情報発信について
- 進和学園の活動の詳細は、ホームページをご覧いただければ幸いです。
- 進和学園には、ご本⼈と職員で結成した⾳楽バンド「とびっきりレインボーズ」(器楽同好会)があり36 年間活動しております。ライブ動画やオリジナル曲を多数YOUTUBE にアップしていますのでご視聴いただければ幸いです。
- 地元のコミュニティ放送「FM 湘南ナパサ78.3MHz」において福祉情報番組「バリア!フリフリ天国」を毎週⽉曜⽇20:00〜20:30 放送しています。この番組は令和6年9⽉末で丸10年となり「継続は⼒なり」です。進
- 和学園のご本⼈と職員がパーソナリティとして参加し「ともに⽣きる」メッセージを発信しています。この番組は、JCBA インターネットサイマルラジオでもお聴きになれます。
末筆になりますが、今後とも変わらぬ連携をお願いするとともに、⽇本聖公会皆様の益々のご活躍を祈念申し上げて結びたいと思います。ありがとうございました。
社会委員ニュースレター「ちいさな手」第27号 2024年8月29発行
編集責任者:宣教主事 司祭 パウロ 窪田真人 編集・構成:司祭 テモテ 姜 暁俊
社会委員:司祭 ダニエル 竹内 一也、聖職候補生 ステパノ 髙野 洋、エステル 近藤 順子(横浜聖アンデレ教会)、ペトロ 勝沼正和(横浜山手聖公会)