欅の坂みち 2025年1月号
+主教イグナシオ
聖堂の真ん中には、至聖所から入口まで赤い絨毯じゅうたんが敷かれています。それは、十字架上で私たちの罪を贖う犠牲となってくださったイエスさまの血を表しています。
聖堂は毎週、信徒の皆さんが交替でお掃除してくださっていますので、清々しく主日を迎えられ感謝です。
ただ、ときどき週の途中でも礼拝があって人の出入りがあると、糸くずなどが付着していることがあります。たまにはコードレスの掃除機で吸い取ってしまうのですが、まずは入り口から聖所に向かって行き、その後、Uターンして入口の方に戻っていくと、前に向かって行った時には見えていなかったゴミが残っていることがよくあります。
ていねいに吸い取ったつもりなのですが、確かに残っているのです。それが1度や2度ではなく、度々そうしたことが起こるのです。
何とも不思議なのですが、それは、光の差し込み方や私の見る角度の違いによるものなのでしょう。つまり、見方を変えると違って見えるということです。
それは、絨毯の糸くずだけのことではありません。私たちが認識していることは、見方が変わるとまったく違って見えたり、見えていなかったりするということです。
その意味では、①人の話をよく聴く、②人の言葉を遮らない、③自分と違う意見も否定せず、まずは受け入れて考える、ということを基本にしていろいろな人の考えに耳を傾け、そして自らも臆せず語っていくというアサーティブコミュニケーションといわれるものができれば、私たちの世界はますます広がっていくことでしょう。
そこに、守秘義務を守り、水平な関係を保ちつつ、そして言いたくないことは話さなくてよいという了解があれば、お互いの理解はより深められていくのではないかと思います。