欅の坂みち 2025年2月
+主教イグナシオ
昨年の元旦は、夕方に起きた能登半島地震によりお祝い気分はいっぺんに吹っ飛んでしまいました。更に9月には、そこに追い打ちを掛けるように豪雨が襲い、状況はますます悪化してしまいました。
未だ思うように復興が進まない中、被災した人びとの心と生活の痛みを思います。家族を失くし、家を失くして残るのは、家族が生きていた、存在したという生前の思い出です。深い喪失感の中に追いやられた時、私たちができることは、ただその人たちが生きたという証、つまりその人たちのことを決して忘れないということなのではないでしょうか。そのことが、亡くなった人と大切な人を亡くした人たちに寄り添うということだと思うのです。
今年は阪神淡路大震災から30年となります。1995年1月17日の午前5時46分、その時私は山梨県清里の教会で朝6時の礼拝の鐘を鳴らすためにラジオのスイッチを入れたところでした。阪神淡路地方が震度7の大地震に見舞われ、大変なことになっていることを知りました。
それから16年後の2011年3月11日には、あの東日本大震災が起こり、地震そのものだけでなく、それに伴う大津波によって多くの人が犠牲となり、建物が破壊されました。更には、福島第一原子力発電所で冷却用の非常用電源設備が破壊されてメルトダウンが起き、大量の放射能が放出されることになったのです。
そこで犠牲となった人たちを憶え続けていくこと、それは、その人たちが存在したことを私たちが証ししていくことだと思います。
私たちは、たとえ一時忘れることがあったとしても、毎年巡ってくる記念日を憶えるとき、犠牲となった人たち、そして残されて大きな痛みを抱えながらも前に向って歩みを続けている人たちに、これからも常に心を寄せていきたいと思うのです。