欅の坂みち 2025年3月

欅の坂みち 2025年3月

+主教イグナシオ

 主教巡杖では、日曜日の朝、或いは場所によっては土曜日に前泊となり、多くの車や列車の乗客といっしょに行動することになります。殊に車は、コロナ禍を除いて、特に帰路の渋滞に巻き込まれることが少なくありません。

 それでも横浜教区は、その点で恵まれており、東北教区へ行かれた田崎主教さまは、「横浜教区は庭みたいなものだね」と仰っていました。確かに、他の教区を見れば、横浜教区よりもずっと広範囲に及んでいる教区が多くあります。

 主教巡杖には、マイターや牧杖など一式、式服と共に持っていくのですが、中には公共交通の便があまりよくない地域もあり、車で移動する機会は少なくありません。

 車での移動では、休日以外あまり運転をしないであろうドライバーもいますし、高速道路をここぞとばかりに飛ばしていく車もよく見かけます。

 飛ばして事故に遭ったり、違反で検挙されたりすれば却って時間を要することは明らかですが、人間の脳は論理よりも感情が優先され易く、頭では分かってはいても感情に左右される傾向が強いのだそうです。

 創世記の第4章で、自分の献げ物よりも弟アベルの献げ物に神が目を留められたことでカインは激しく怒り、顔を伏せます。それは、神から顔を背けたということでしょう。すると神は、「罪が戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」とカインを戒められるのですが、結局カインは怒りの感情に身を任せ、弟アベルに手をかけてしまいます。

 そこには、人がいかに感情に左右され易い存在であるかが示されています。その意味で、人との関わりにおける感情、殊に怒りをコントロールするための訓練は、今後、ますます必要となるように思われます。

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