「備えあれば憂いなし」聖霊降臨後第9主日(特定14)

司祭 エドワード 宇津山武志
(ルカによる福音書 第12章32節―40節)

 備えは大切です。藤沢時代に関わったボーイスカウトのモットーは“そなえよつねに”でした。受験に備え、就職に備え、結婚に備え、老後に備える…。

 備えのありようが、賢明さのバロメーターでもあります。もしこれらの準備を一切何もしていないとしたら、無責任のそしりを免れませんし、本人も不安に苛まれることでしょう。

 わたしたちの多くは、十分にとはいかないまでも、様々な備えをしています。では、この日のテキストでイエスさまのお命じになる備えとはどんなものでしょう。もしかするとわたしたちは、より大切な、いや最も大切な備えに対して鈍感に、無頓着に、あるいは無知になっているかもしれません。この世の備えよりも優先すべき備えとは…。

 その一つの答えがこの日の福音書の少し前に示されます。「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」(12:21)。神に対して富む、すなわち、真の命を得るための備えです。

 様々なことに賢明に備えている人が、最も重要な備えをしていない、というのがイエスさまのお言葉の奥にある思いであり、わたしたちの多くの現実です。イエスさまは、そのことを譬によって示されました。「主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐあけて迎えようと待っている人のようにしていなさい」。同じようなテーマを扱うマタイによる福音書の「十人のおとめのたとえ」も思い出されます(25章)。

 間近に迫ることがらに備えるのはある意味常識であり、簡単だともいえますが、いつのことやらはっきりしないことに備えるのは困難です。緊張感が緩みます。わたしたちにとって大切なのは、「主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。」と言われている備えです。

 「幸いである」というお言葉は、有名な「山上の説教」を思い起こさせます。ここで幸いとされる「心の貧しい者」とか「心の清い人」とか「憐れみ深い人」と同じように、主への備えをしている人たちは、幸いなのです。

 いま改めて、「主への備えとは何か」。わたしたちはこの問いに戻らなければなりません。それは、キリストが来られた時には、いつでも開けられるように用意をしておくことです。ヨハネの黙示録に次のようにあります。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(3:20)。

 イエスさまはわたしたち一人ひとり、すべての人の心の戸口に立ち、たたき、呼び続けておられます。イエスさまのみ声を聞き、わたしたちの心の扉を開けるとき、そこにメシアとの宴、キリストとともにする食事、すなわち、キリストとの親しい交わりのうちに歩むまことの命への旅路が始まります。

 アブラムは荒れ野の静けさの中で神の声を聴き、それに従い歩み続けました。イエスさまは、群衆や弟子たちを離れ、一人山の上やゲッセマネの園で神の声に耳を傾けました。現代社会には、見えない神よりももっと役に立ちそうな声が溢れ、神の声をかき消しています。この喧騒の中でわたしたちはイエスさまがたたく戸の音に、わたしたちを呼び続けるイエスさまのみ声を聞くことができますように、耳を澄ましていたいと思います。

(千葉復活教会牧師)
(福田聖公会管理牧師)
(茂原昇天教会管理牧師)

(『横浜教区報』2025年8月号巻頭言より)

特祷

永遠にいます全能の神よ、わたしたちに信仰と望みと愛とを増し加え、またあなたが約束してくださるものを得るためにあなたが命じられたことを愛させてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン 

旧約聖書 創世記 15:1-6

 1これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」 2アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」 3アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」 4見よ、主の言葉があった。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」 5主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」 6アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

詩編 105:1-8 または 33:12-22

【105: 1-8】

1       主に感謝してみ名を呼び∥ 諸国の民に神のみ業を告げ知らせよ

2       賛美の歌を神に歌い∥ そのすべての不思議なみ業を語れ

3       尊いみ名に栄光あれ∥ 主を捜し求める者よ、心から喜べ

4       主にその力を求め∥ 常にみ顔を慕い求めよ

5       神が行われた不思議なみ業を思い起こせ∥ 救いのしるしと審きの言葉を

6       神の僕アブラハムの子孫∥ 選ばれた者、ヤコブの子らよ

7       主はわたしたちの神∥ その審きは世界に及ぶ

8       神は契約をとこしえに守られる∥ その契約は世々に及ぶ

【33:12-22】

12      主を神として頂く国∥ 神のものとして選ばれた民は幸せ

13      主は天から目を注ぎ∥ 人びとをすべてご覧になる

14      神はそのみ住まいから∥ 地に住むすべての人に目を注がれる

15      神は一人ひとりの心を造り∥ その業を見抜かれる

16      王は多くの軍勢によって救われるのではなく∥ 勇士も力によって助けられるのではない

17      馬は救いの力にならず∥ 大軍も人の助けにはならない

18      主の目は神を畏れる人の上に∥ 神の愛に希望を置く人の上に注がれる

19      神は彼らの魂を死から救い∥ 飢えから彼らを助けられる

20わたしたちの魂は主を待ち望む∥ 神はわたしたちの盾、また救い

21      心は神のうちに喜び∥ 尊いみ名に寄り頼む

22      主よ、慈しみをわたしたちの上に∥ あなたに希望を置く者に与えてください

使徒書 ヘブライ人への手紙 11:1-3,(4-7),8-16

 1信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 2昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。 3信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。 4信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。 5信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。 6信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。 7信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。 8信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。 9信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。10アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。11信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。12それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。13この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。14このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。15もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。16ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

福音書 ルカによる福音書 12:32-40

 32小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。33自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。34あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」35「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。36主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。37主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。38主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。39このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。40あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

旧約聖書、使徒書、福音書は『聖書 新共同訳』より引用しました。
©︎共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
©︎日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

特祷、詩編は『日本聖公会祈祷書』より引用しました。
©︎日本聖公会 1990

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