+主教 イグナシオ
感染症は、収まったかと思うと一定の周期で再び流行りだします。2019年以来、コロナもまた流行を繰り返しています。コロナだけでなく、嘗ては冬の感染症の代名詞でもあったインフルエンザも、冬に限らず1年中感染拡大のニュースが聞かれます。
他にもノロ・ウィルスやベロ毒素を出す腸管出血性大腸菌など、私たちはいつも感染症の中で毎日、暮らしているともいえます。そして、コロナ禍である程度習慣づいた対策もありますが、収まったと言われていても油断せず、消毒、マスク、換気といった予防に関しては留意を怠らないようにしたいものです。
そのように見てみると、一時ほどの感染拡大はなくなったにも拘らず、人が多く出入りするところには引き続き消毒用のアルコールが置かれていますし、手洗い場にはほぼどこにでも液体石鹸が設置されていて、感染予防の意識は格段に底上げされたように感じます。
しかし他方で、過剰に神経質になりますと、却って免疫を得ることができなくなるというデータもあります。赤ちゃんが何でも手にするものを口に持って行くのは、一説によれば、敢えて感染することでいろいろな免疫を獲得していっているとも言われていますので、他人が手を触れたものは一つひとつ消毒しなければ直接、手で触れないといったような極端な対応は、結果として人との繋がりを阻害してしまうことにもなりかねません。
神さまは、アダムだけでなくエバを造られて人を創造するというみ業を完成され、それを「よし」とされました。
また、イエスさまは言われます。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」(ヨハネ15:4)と。
イエスさまが私たちに繋がっていてくださり私たちもイエスさまに繋がっていること、そして私たちがお互いに繋がり合うことで、私たちは、み前にあって「生きた者」とされているのだと思うのです。
(『横浜教区報』2025年11月号より)




