【主教メッセージ】礼拝指針について(2023年5月9日付) 詳細

欅の坂みち 2024年5月

+主教イグナシオ

欅の坂みち 2024年5月号

 主のご復活を伝える聖書は、四つの福音書ともイエスさまのお体のない空の墓のようすを伝えているだけで、キリスト教信仰の根幹をなす出来事である主のご復活は、あっけないほど簡潔に記されています。

 そこには、主イエスさまがどのように復活されたのかは一切、述べられてはいません。ただイエスさまが十字架の死から復活されたことを事実として宣べ伝えているだけです。

 それはある意味、至ってデジタル的、つまり、私たちにそのことを信じるか否かを迫っています。

 コリントの信徒への手紙Ⅱの第1章19節で聖パウロは、「わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、『然り』と同時に『否』となったような方ではありません。この方においては『然り』だけが実現したのです。」と語っています。

 AI(人工知能)が利用され始め、すべてがデジタル化されそうな昨今ですが、私たち人間は、「然り」か「否」かを明確にできることもあれば、実際には、「然り」であり同時に「否」でもあるといった矛盾もまた抱えています。

 それは人間の曖昧さ、優柔不断さにも見えますが、そこが人間の人間たる所以といえるものなのかも知れません。理性と感情を併せ持っているからなのでしょうか。簡単には決して割り切ることができません。

 論理的には「然り」であっても、自分の正直な思いは「否」といった矛盾です。

 毎年、復活日前夕にささげられる聖餐式(ヴィジル)には、洗礼の誓約更新がなされます。その元となっている受洗の際の誓約には、「神の助けによって…」という言葉が各誓約の冒頭にあって、神のみ旨に対して、その助けなしには「然り」と応答することの難しさを抱えている私たちの現実が表されているといえます。

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