【教区主教メッセージ】『礼拝指針』(2021年11月9日版) 詳細

静岡聖ペテロ教会

所在地・連絡先

420-0865
静岡市葵区東草深町1-14
tel. 054-246-8013 (faxはありません)

教会ホームページ

http://www4.tokai.or.jp/st.peter/

礼拝時間

主日(日曜日)

聖餐式  7:30
聖餐式  10:30(毎月第3日曜日は「み言葉の礼拝」です)
夕の礼拝  17:00(毎月第4日曜はお休みです)

祝日(教会暦)

聖餐式  10:00

教会紹介・沿革

1890(明治23)年4月、日本聖公会主教エドワード・ビカステス師父は、執事山縣与根二師を司祭に按手。1893(明治26)年、山縣司祭は静岡県下の視察を志し、駿東郡沼津町(現在の沼津市)から周智郡犬居村(現在の浜松市北部)までを巡回、その帰途静岡市に立ち寄り、賤機山に登り市中を展望、この地における伝道の必要を強く認識し、「神よ、この所にも主の教会を与えたまえ。もし他に働き人としてこの所に赴く者なくば、我を遣わしたまえ」と祈ったと言われています。

帰京後、直ちにアーチディーコンA・C・ショウ師に報告、静岡伝道の必要性を説き実現に至ります。同年10月、安西1丁目に一軒家を借りて講義所を開設、石田徳太郎伝道師とその親友本多彦松氏を住まわせて伝道を開始しました。
翌1894(明治27)年4月には二番町に移転、1895(明治28)年4月13日復活日前日に山縣師によって最初の洗礼式が行われました。さらに1897(明治30)年にはC・G・ガードナー司祭を島田弟丸執事とともに定住、伝道・牧会に従事させました。翌1898(明治31)年、講義所を水落町に移した頃から教勢は躍進。聖堂建築の機運が高まり、1900(明治33)年に東草深町のお堀端に土地を得て着工、翌年2月17日、ついに最初の聖堂の落成・聖別に至りました。最初の聖餐式は山縣師によって執り行われ、陪餐者13名、師は式後直ちに賤機山に向かい、感謝の祈りを捧げたと伝えられています。
その後も聖職・信徒の篤い祈りとさまざまな活動に支えられ、将来の教会建築用地として現在地を取得(1931)、沓谷に教会墓地を建立(1932)、女教師館の建設(1933)、いまも美しい音色を奏でて礼拝の賛美を支える大型オルガンの購入(1937)など、教会は順調に成長を続けました。

ところが、1941(昭和16)年の太平洋戦争勃発により、キリスト教は「敵性宗教」として、厳しい監視下におかれ、礼拝出席者は目に見えて減少。国策によってローマ・カトリック(旧教)以外のプロテスタント諸教派(新教)を統合する「日本基督教団」が設立され、合同を求められましたが、これを拒否したことによって弾圧は厳しさを増し、海外からの宣教師の多くが帰国を余儀なくされ、一部の邦人聖職もスパイ容疑で投獄されるなど、艱難を極めました。
1945(昭和20)年、終戦により軍国主義から解放され、教会は再び、真の価値と意味を求める人びとの心と人生のよりどころなって、多くの人が集うようになりました。

1955(昭和30)年、現在地に移転、地域の人びとからは「桜の教会」として親しまれ、信徒にとっては「祈りの家」として信仰を養い育ててきた聖堂も時を経て老朽化、大地震による倒壊の危険性も指摘され、2005(平成17)年、惜しまれつつも現在の新聖堂にバトンタッチ。このとき、害虫に侵食された桜も残念ながら伐採しました。しかし教会には、旧聖堂から祭壇・説教壇・オルガン・会衆席、フランス製の窓ガラスなどが移植され、いまもわたしたちの祈りを支えています。

困難な時代にこの教会の誕生から成長を祈り支えてくださった諸先輩の思いを今も大切に信仰生活と福音宣教に励んでいます。

教役者

牧師: 司祭 エドワード 宇津山うつやま 武志たけし(定住)