【教区主教メッセージ】礼拝指針の警戒レベルを上げることについて(2022年1月14日) 詳細

欅の坂みち2021年10月

+主教イグナシオ

 八月に下の娘が二人目を出産して、上の子を連れて里帰りして来ました。生まれたばかりの幼子は、抱っこしている相手を信頼しきってすべてを委ね、すやすやと眠っています。

 生まれたての子どもは起きている時間は少なく、言葉も何もしゃべりませんし、意思の疎通は泣くか眠っているか、です。

 しかし、そこまで徹底して信頼されてしまいますと、こちらとしては何とかその期待に応えたいと自ずと心が動かされます。お腹が空いたのか、眠いのか、おむつが汚れているのか、少しでも泣き声が聞こえれば、今度はどうしたのか、あれこれと想像のアンテナを目いっぱい広げて思いを巡らすことになります。

 まさに何もできない幼子なのですが、そのすべてを委ね、信頼し切っている姿が周りの人たちを動かしていきます。

 しかも、周りは渋々ではなく、むしろ、どうしたら喜ぶだろうか、何が必要だろうかと自ら進んであれこれと考えるようになるのです。

 突然、生活の中心に飛び込んできた幼子ですが、今、我が家はこの子を中心に回っています。どんなに忙しくても、まず彼女のことを皆が考えます。

 まったく何もできない幼子が、周りの大人も子どもも皆を動かしているのです。しかも、皆、喜んで幼子のために動くのです。そして、だれも文句を言う人はいません。この子の喜びが皆の喜びになっているからです。

 この信頼が平和を作り出しています。自分中心ではなく、常に相手に寄り添い、思いを巡らしていくのです。

 もし私たちの間でそうであるとすれば、まして神さまは、すべてを信頼して身を委ねる者を顧みてくださらないことがあるでしょうか。愛する独り子をお遣わしになった方は、どこまでも私たちに寄り添い続けてくださっています。

『横浜教区報』2021年10月号 1面より

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