欅の坂みち2022年12月

+主教イグナシオ

欅の坂みち2022年11月号

十月末のある主日の夕の礼拝の後、西の空が夕焼けに染まっていて箱根や富士山が美しいシルエットになっていました。

猛暑といわれることに慣れきってしまった夏が去り、近年、勢力が増している台風襲来も過ぎて十一月を迎え、季節の移り変わりを実感させられます。

先週、同じところに三日ほど居続けたカマキリがいました。体の色が茶色味帯びていましたので寿命が近いのだとすぐにわかります。

その後、いなくなったかと思っていましたら、遊びに来ていた我が家の孫たちが捕まえたようで、置き忘れられた虫かごの中でじっとしているのを見つけました。動きは鈍いのですが、暖かな日だったせいもあるのか、まだ生きていました。

命が去り行こうとしている情景は何とも物悲しいものですが、だからといってただ単に生きながらえさせればよいのかというと、そうではないように思います。

神さまが定められた命であり寿命であるならば、私たちが単に「かわいそう」といった情にほだされて生きながらえさせることがよいとは限りません。

生を受け、季節の移り変わりの中で寿命を迎えるという厳しい自然の摂理の一端に出会ったように思います。

そこで、もと居た場所の近くに放してやりました。それは間もなく寿命を迎えさせる、ということであり、神さまが与えられた命を全うしていくものをその摂理の下で見守るという厳しさ、厳粛さであり、それが命に対する尊厳といえるものなのではないでしょうか。

やがて寿命を迎えるであろうすべての命に対して私たちができること、それは単に寿命を長引かせることではなく、去り行く命に対して神さまの祝福を祈ること、司祭職にある者であれば、神さまの祝福を宣言することなのだと思います。

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